振り向いても未来

楽しいものに吸い寄せられる性質です

「コインロッカーベイビーズ」と母と娘の話

それはそれは軽率に足を踏み入れた舞台だった。

2016年の夏、友人を送り届けて帰ろうと思っていた。「コインロッカーベイビーズ」前知識ゼロ。出演者も友人を連れて劇場に向かう道中で知る。

 

それにしてもヘビーだった。

暑苦しいほど毒々しかった。

息苦しいほど痛々しかった。

そしてとてつもなく文学的で観劇後の胸のもたつきがあった。

 

パンフレットを買い、この作品をとにかく読み解きたかった。自分の中で飲みくだしたかった。噛み砕いてすっきりしたかった。原作があることを知り、本屋をはしごしてようやく手にした。読み始めたものの、これまたヘビーだった。なかなか進まず、途中休憩を挟みまくりながら読み切るまで半年かかった。舞台のワンシーンワンシーンを再度目撃しながら飲みくだして…の半年だった。

 

帰省の時に読みきろうと黙々と読書していた私に「何をそんなにかじりついているの?」と母は尋ねた。母は「まー!懐かしい!私も10代の頃買って読んだわ」と嬉々として話し出した。

 

学校で村上龍作品を読んでいたところ、内容が過激すぎると担任に取り上げられた「限りなく透明に近いブルー」のエピソードや、まさか彼が「13歳のハローワーク」のような本を書くとは思わなかったという話がそれはそれは花が咲いた。母が多感な頃にその時代を彩っていた作家の作品を、まさにその娘が多感な頃に手にしている。なんとも不思議な巡り合わせだった。

 

長いことアイドルの、殊更ジャニーズのファンをしていると、各方面から「アイドル舞台の?」「ジャニーズ舞台の?」と少し小馬鹿にされることがある。それは一概に否定もできなくて、正直ファンであっても小馬鹿にしたくなるものは多々ある。けれどそれはアイドルだからとかジャニーズだからと括る類のものではない。

 

今回の軽率に観劇した舞台から原作への作品の広がり、そして母と娘が世代を超えてそれぞれが手にしていたという広がり。その一連のきっかけが俗に言う「アイドル舞台」「ジャニーズ舞台」だったという事実が確かにある。文学や文化の間口は広い方がいい。高尚な世界ほど入口は覗きやすい方がいい。興味を持てた方がいい。頭では分かっていたがそれを肌で感じた一件だった。

 

きっかけはなんだっていいじゃない。良いものには多く触れられた方がいいじゃないか。それくらいのスタンスでこれからもきっと軽率に面白い世界を探して歩いて行きたいと思います。