【伊万里市大川内山】どうか元気でいて、そうすれば、またどこかで。
2024/09/27
眠気に頭を揺らしながら、朝8時半に博多バスターミナル発のいまり号に乗車して佐賀県伊万里市に向かう。非予約路線とのことで座席が残っているかどきどきしたがその心配は皆無だった。発車しても半数以上の座席は空いていて、伊万里市に到着するころには私ともうひとりの乗客のみだった。意気揚々と伊万里観光に繰り出した私は少し不安を覚える。もしかして、私が今から行こうとしている場所は、観光地ではないのか…?
ひとり暮らしに慣れ、自炊を楽しむ余裕も出てきた頃、百貨店の陶器市で初めて買った焼き物が有田焼だった。それまで100円ショップやホームセンターで購入したものや、キャンペーンでの引換でもらったようなものしか使っていなかった私にとっては、1000円するかしないかの食器を買うことも使うことも初めてで、とても緊張したことを覚えている。今でも現役のその器は、日本中からやってきた仲間をじわりじわりと増やしながら、私の小さなキッチンと食卓を彩り続けている。
博多での用事のあと、せっかく九州に行くのだから、どこかほかに行きたいところは…と考えたときに、九州出身の同僚から、九州内の提携された各種バスに乗り放題という「SunQパス」の存在を教えてもらった。「これは有田焼の生まれたところに是非!」と半ば条件反射的に思ったのが佐賀行きのきっかけだった。佐賀と聞いて私がすぐに思い浮かんだのが海鮮ではなく焼き物だった。
お気に入りの食器を使った食卓の満足度を教えてくれた有田焼はどんなところで生まれたのだろう。詳しくはないものの日本中の焼き物をちまりちまりと集めている私は「陶磁器の生まれる街」に興味津々だった。
けれど今回の旅行で拠点にしている博多駅から日帰りで、かつ車を運転できない私が散策するには有田の街は敷居がとても高かった。そこで浮上してきたのが伊万里という場所だった。駅から徒歩圏内に主要な観光スポットが凝縮されていて、博多駅から直行の高速バスが出ている。これは呼ばれているのでは…と思いながら眠気に負けつつ2時間ほどバスに揺られることになった。
10時半すぎに伊万里駅前に到着。すかっと晴れ渡る秋晴れのなか、伊万里駅ビルの2階にある「伊万里・鍋島ギャラリー」に向かう。ここは伊万里市が所蔵している焼き物専門のギャラリーで、無料で解放されている。駅ビルで市がやっているギャラリーなので、正直なところあまり期待していなかったのだが、むしろ伊万里市に行ったら絶対に行ってほしいと思うほどの満足度だった。

まずギャラリーのある伊万里駅ビルの階段が本当に美しい。透き通る青白磁のような、薄い青色のタイルで、天井が広く抜けた大きな窓から見える秋晴れの空と溶けて混じるような錯覚になる。ひとりなのに小さく「うわぁ」と声を出してしまった。

私にはギャラリーの所蔵品の良さが正しく分かるほどの知識はないけれど、その色鮮やかさや緻密さにうっとりとして、そして時折施された金継ぎを見て「200年前の人たちも、その間の人たちも、これを大切に扱っていたんだな、だから今こうして私が見れているんだな」と長い長い年月に思いを馳せるなどした。
ギャラリー内で流れていた20分ほどの伊万里焼・鍋島焼についてまとめられた映像が難しすぎず長すぎず、簡潔でとても分かりやすかった。事前勉強をろくにせずに「陶磁器に興味がある!どこで生まれたんだろう!行ってみよう!」というビリヤードの球のような私にとっては最高の予習教材になった。
「これは無料で良かったんだろうか…」と思いながらギャラリーを出ると、受付のご婦人に声をかけていただいた。京都から来た話、焼き物に興味がありほぼ思いつきで伊万里に来てみた話、だけど知識はないから映像がとても有り難かった話。
そしてこの後の旅程の話になったときにご婦人の声色が一変した。それまで上品で柔らかい話し口だったご婦人が強い語気で言った。
「大川内山に行ってください、絶対にそのほうがいい、伊万里まで来て行かないなんていけません」
そしてカウンターの奥に消えていき、バスの時刻表やらパンフレットなどをがさがさと広げながら私の隣にやってきて「いいですか、今からなら12時のバスに乗れます、30分もあれば着きます、行ってください」と、もはや断る隙を与えられない勢いだった。「現地の人、ましてやギャラリーの人が言うんだから、その話、乗ってみようかな」と、到着1時間で予定を変更することになった。そしてこれがまた大正解だった。
バス停の場所を観光協会で確認したあと、出入口で順番を譲った母くらいの年代の女性が、私が乗る予定のバスと同じバスの乗り場を尋ねて入室してきた。私は呑気に「へえ、そんなに有名なところなんや」などと思いながらドアを閉めようとした瞬間だった。
「それならその子に教えましたよ!」
思いがけないひと言に思わず振り返った私は、職員の方とご婦人の顔を交互に見た。職員の方があまりにもにこやかなので、私もさも当たり前のような声色で「あ、はい、聞きました、行きましょうか」とご婦人に声をかけた。これがこの日3時間ちょっとの旅の友となった、田口さんとの出会いである。
母と同年代だと思った田口さんはまさかの母より年上の70歳のご婦人で、福岡の息子さんのお家を拠点に旅行されているところだった。以前は骨董に興味があったという彼女は「数十年前に訪れたことがあるという大川内山に久しぶりに行こう」と、前夜に決めたということだった。驚きはしなかった。私はほんの15分前に行くことを決めた身である。
道中はお互いの色々な話をして、これまでとこれからの旅の予定、今まで行った旅先の話で盛り上がった。無事に目的地に到着し、私は観光協会で飲食店の有無を確認していたので、窯元街の入口にある数件の喫茶店のうちのひとつでお昼を済ませることを伝えると、そのままご一緒にお昼を食べることになった。ここでも今までの旅の話や家族の話で盛り上がり、結局1時間ほどゆっくりと過ごしてから散策に繰り出した。

窯元街は山に沿って軒を連ねていて、メイン通りの入口からてっぺんまでは坂道を15分ほど登る。決してたっぷりあるわけではない次のバスまでの時間の兼ね合いで「寄りたいところに目星をつけつつ一気にてっぺんまで登り、下りながら寄り道をしよう」と、伊万里焼で作られた地図の前で作戦会議を実施する。旅の楽しみは計画を練るところにある。
露店やガラス窓越しに焼き物を覗きつつ、きんと冷えた湧水で涼を取りながら、民家と窯元が混ざる街に胸を踊らせた。暮らしに欠かせない食卓を彩る器たちが、こうして暮らしのなかで作られていることが私にとっては新鮮だった。
大きくしなった樹々に近づくと、葉に隠れてたくさんの柿や栗が実り始めていて「秋だねぇ」「ですねぇ」と言い、そのまま腕で頭を守りながら駆け足で通り抜けた。
溜池からいきなり水音が聞こえて、ビクビクしながらこちらもぱちぱちと手を叩いて音を出すと、立派な鯉たちが日陰から悠々と姿を現して、余りの大きさと人間に慣れていてこちらに平然と近づいてくる様子に、きゃっきゃと声を上げてはしゃいでしまった。

小さな看板に従いながら、原っぱのなかに構える加藤清正公を祀るお堂にも顔を出した。あまりにも大きな木と、街を一望するロケーションのもと、しばし休憩し、蚊の襲撃に気づいて早々に退避した。
そんないい大人ふたりの冒険だった。家族でもなく面識もなく、ついさっき観光協会で結び付けられた謎の縁である。自分の子どもよりも年下の私と、よく一緒に遊んでくれたと旅を終えた今でも思う。書く人が書いたら小説にだってなるだろう。
バスの時間に余裕を持ってまた街の入口まで戻って来れたので、ゆっくりと伊万里焼を埋め込んで作った橋を観賞したり、橋の目の前のお店で特売品を漁ったり、つかず離れず過ごした。

私はここで青白磁の上にラフにスケッチをしたような、葡萄が描かれた湯呑みを買った。それまで買うか迷っていた湯呑みにはなかった「持ったときのしっくり感」がとても気に入ってのお迎えになった。店員さんが包んでくれている間「伊万里駅の階段の色とおそろいだな」なんて思っていた。

橋の傍に川のすぐそばまで行ける階段があり、そこから橋の側面がよく見えることに気づいた私は、嬉々として「行ってきます!」と小走りで向かうと、田口さんは「気をつけるのよ〜!」と声を張った。陸上部のお孫さんを大層可愛がっている彼女の声は、その言葉がとても言い慣れているように聞こえて、私はにんまりとしながら「はぁい」と返事をした。きっと私の声も、バツの悪そうな「はぁい」を言い慣れているように聞こえたと思う。

帰りのバスの車内では大川内山の感想や、お互いに感謝を伝えあっている間に、あっという間に伊万里駅に到着した。福岡への帰りの便は違うので、そこで別れることになった。連絡先を交換するまででもない、つい3時間ほど前に出会った、今日限りの友人である。少し寂しさを含んだ空気のなか、どちらともなく手を差し出して握手をしながら田口さんは私に言った。
「どうか元気でいて、そうすれば、またどこかで」
願いのような、祈りのような、応援のようなその言葉は、するりと私の心の柔らかいところに染み込んでいった。
その夜には約7年ぶりに再会する同級生との予定も控えていた。社会人になりたての頃には、お互いに精神的に落ち込んで休職や退職をした時期もあるし、連絡を取っていない時期もあった。
どうか元気でいて、そうすれば、またどこかで。
田口さんからすれば、何気ない言葉だったかもしれない。でもひとり旅とは思えないほど、現地の友人たちに時間を割いてもらって沢山の人たちに会っているこの旅は、きっとそのひと言のためにあったのではと思うほど、しっくりと来る言葉だった。
目の奥が熱くなりながらも「それは田口さんもです。これから今日のことを思い出すとき、絶対に田口さんが出てきます」と返した。
お互いに会釈をしながら反対の方向に歩き始め、私は心のなかでいただいた言葉を何度も唱えながら伊万里の街に繰り出していった。そしてここでもまた小さな事件は何度も起きるのである。
どうか元気でいて、そうすれば、またどこかで。
この世界のどこかで、時々私を思い出してくれる人がいて、そしてその人は私が元気で生きていることを願ってくれている。そんな幸せを目の当たりにすることは、なかなかあることではない。私も何度も思い出して、彼女が元気で生きていることを願いたいと思った。きっともう会えないであろう相手に、精一杯の願いを伝えられる70歳のご婦人に、いつか私もなるんだという決意も込めて。